history of KAWADA INDUSTRIES

   

1922年5月 川田鐵工所 創業

創業当時は、創業者川田忠太郎が火床(ほど:鉄を焼くための炉)に火を点じ、妻のいとが鞴(ふいご:火をおこすための風装置)を押すというところから始まった。

1928
富山県福野町(現:南砺市)に工場建設
1940
北陸産業株式会社 設立

   

川田工業株式会社 に社名変更し、同時に川田鐵工所の事業を引き継ぐ

   

鋼製吊橋における「プレストレス工法」を開発
「大渡橋」を富山県より受注

川田工業が製作から架設までを行った最初の本格的な吊橋であり、当社橋梁事業の礎となった(鋼製吊橋における「プレストレス工法」採用 ※プレストレス…圧縮応力)。この工事受注を機に「橋梁の川田」の飛躍が始まる。

1958
栃木工場 操業開始
1965
東京支社 開設

   

「首都高速2号目黒線」を受注

1964年東京オリンピック開催の関連工事である首都高速道路公団(現:(株))の受注が増加。

1967
東京証券取引所第二部に株式上場
1972
創業50周年 東京・大阪証券取引所第一部に上場
1973
四国工場 操業開始
1978
建築事業部 開設
1982
東京本社 開設 橋梁事業部、鉄構事業部 開設

   

「牛久大仏」の設計・施工に着手

特殊建築物である「牛久大仏」の設計・施工に着手。1993年竣工。青銅製立像として、1995年当時ギネス世界一の高さ(全長120m)を記録する。その後、地震や風による大仏の揺れを計測し安全性や被災度を判定する「牛久大仏見守りシステム」を自社開発。2016年から運用を始める。

1987
航空事業部(のちのロボティクス事業部)開設

   

「明石海峡大橋」を受注

大型橋梁の主塔製作・架設工事に参画。川田グループでの明石海峡大橋架橋プロジェクトへの参画が始まる。

1993
川田グループの橋梁架設技術と航空技術が一つになって、世界初「ヘリコプターによる吊橋のパイロットロープ渡海作業」が明石海峡大橋で行われた。
1994
明石海峡大橋補剛桁工事を受注。
1998
明石海峡大橋 開通

   

「横浜ランドマークタワー鉄骨」を受注

以降、1990年代に入り超高層ビル鉄骨の受注が増加する。(写真提供:三菱地所(株))

   

システム建築事業部 開設

1993年から川田工業システム建築の営業を本格的に開始する。川田工業四国工場守衛所は川田工業システム建築第1号である。(2001年、建築事業部とシステム建築事業部統合)

   

「東京ゲートブリッジ」を受注

東京港第三航路をまたぐトラス・ボックス複合橋である東京ゲートブリッジを受注。2009年に2度にわたり、フローティングクレーン3隻による相吊架設が行われた。

2009
株式移転により、純粋持株会社川田テクノロジーズ
株式会社 設立
2011
北陸事業部 開設
2012
ロボティクス事業部 開設
2013
橋梁事業部と鉄構事業部 統合(鋼構造事業部 開設)
カワダロボティクス株式会社 設立
2015
ロボティクス事業を
カワダロボティクス株式会社へ事業承継

   

「首都高速1号羽田線(東品川桟橋・鮫洲埋立部)更新工事」を受注

1964年の東京オリンピック開催にあわせて整備されてから50年以上が経過し、老朽化が進んでいる首都高速1号羽田線の大規模更新工事が始まる。

   

創業100周年