Chapter 1

鉄構部門に建方の工事部が発足。
製作から建方工事まで、
鉄骨工事を一括受注できる体制が整った。

鐵工所からスタートした川田工業は、その強みを建造物の鉄骨の製作・施工に発揮。首都圏だけでも、渋谷ヒカリエ、東京ミッドタウン、モード学園コクーンタワー、六本木ヒルズ、横浜ランドマークタワー、東京都庁などの超高層ビルや、東京ドームなどの大空間架構建築物など、数多くのビッグプロジェクトに参画してきた。しかし、鉄構部門に建方の工事部が発足したのは、1993年。その歴史は意外にも新しい。
「当時から、川田工業の鉄構部門では、工場での鉄骨製作を事業とするファブリケーターとして有名でしたが、鉄骨を現場で組み立てる、建方工事には関わっていませんでした。私は入社時には建築事業部に所属し、4年間、牛久大仏の建築に従事。その後、一般マンション建築の施工管理を行っていたのですが、牛久大仏を建てたときの大型鉄骨工事の感動が忘れられず、鉄構部門に建方計画から現場建方施工までを担う鉄構工事部が発足したばかりの時に転属。それから25年、鉄構工事部と成長をともにしてきました」:布施

chapterイメージchapterイメージ鋼構造事業部 工事部 部長 布施直彦(1989年入社)。鉄骨のファブリケーターとしての強みを生かした川田ならではの技術提案を行い、難易度の高い超高層ビルや特殊構造の鉄骨工事を実現している。

  • chapterイメージ chapterイメージ 富山工場、栃木工場、四国工場の3工場は、鋼橋や建築鉄骨の製作を行っている。しかし、鉄構工事部ができるまでは、これらの製品を自分達で建てることは、建築鉄骨では無かった。
Chapter 2

製作部門と協力して独自の新しい施工技術を提案。
川田にしかできない、特殊建築物の鉄骨工事を実現する。

鉄骨の製作では業界トップクラスの技術を誇る川田工業だが、製作から建方工事を含める現場施工まで、鉄骨工事全体を一式でできるようになれば、競合会社にはない独自の強みとなり、さらに大きな差別化となる。
「これまでは、鉄骨製作をする人と建方施工する人とは利害関係が一致していないため、お互いに責任範囲を超えた提案が持てない状態でした。川上から川下まで全部一社で請けることで、難易度が高い工事でも、独自の新しい技術を提供できる。お客さまにとってメリットが大きいと思いました」:布施
布施は鉄構工事部に所属してから10年間、施工計画・現場管理をしながら、鉄骨の建方の専門家として力をつけていった。担当したのは、足立区庁舎、高崎市庁舎、小田原アリーナ、富山市総合体育館、仙台ドーム、笠松運動公園水泳プール、松本市民会館、東京ミッドタウンなど、いずれも特殊性がある建物ばかりだ。
「何もないところにまずは鉄骨が建ち、そのあと、さまざまな工事がつながっていきます。つまり鉄骨工事は、建築工事の先導役。その中でも我々が手掛ける大型工事や特殊工事では大手ゼネコンのエリートでも、その鉄骨工事に関わることは一生に一度あるかないかの花形工事なんです。我々は、毎回その花形工事だけを担当しているので、やりがいは大きいですね」:布施

Chapter 3

鉄骨工事に同じものは二つとない。
経験を生かし、物件ごとにアイデアで乗り切る。

布施が若くして鉄構工事部の部門長に抜擢されたのは、リーマンショックの年。建設業界は不景気の波にのみこまれた。しかし、そんなときも、地道な営業活動と独自の技術提案を武器にして切り抜けてきた。その代表作が大阪の中之島フェスティバルタワーと、銀座の歌舞伎座。どちらも、大空間の上に超高層ビルが建つという、技術的にも構造的にも難易度が高い工事だ。
「大空間の上の建物が徐々に建っていくに連れて、少しずつ荷重が増え、支える鉄骨が変位します。その変位を制御する工法の中で砂を使ったジャッキを開発して提案しました。ほかにも、施工中の建物全体の強度を高めるための『建方における技術提案』を行い、それが成果に結びついています」:布施
鉄骨工事に同じものは二つとない。これまでの経験を生かして物件ごとにアイデアを絞って対応していく。それが、川田工業のスタイルだ。
「鉄構部門の工事部の草創期から、特殊構造の建築物の鉄骨工事の経験を積み上げてきました。これからも、鉄骨工事のスペシャリストとして社会に貢献していきたいですね」:布施

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